私は四十歳で、このまま行くと腎臓の機能があと二年しか持たない。と紹介された腎臓内科で診断を受けました。
三十三歳で倒れてからずっと内科に通っていたのに、腎機能の数値も血液検査に出ていたのに、最初から見てもらっていた主治医はそれをずっと見逃していたのです。
腎臓内科を受診したところ、他のクリニックからも同じような事情で来た、という方がいらっしゃいました(プライバシーが無いに等しい診察室なので隣の話が丸聞こえでした)。
血液検査の結果一覧で、腎機能を示す数値eGFRはただ数値が載っているだけで、正常値より上ですよとか下ですよ、という印が付かない項目でした(私の通っていた内科では)。
この数値は百が「腎臓の機能が百パーセント働いている」目安であり、数値が下に行けば行くほど機能が落ちているという意味です。
他の検査項目は大体は正常範囲が書いてあるのに、なぜこれだけが書いていないのか?こんな大事な数値なのに?
皆さん、今すぐ検診の項目をチェックしてください。
内科の最初の血液検査でのeGFRは、すでに六割くらいの数値でした。
年齢にしては低すぎる数値です。
その時すぐに医師が指摘していれば、すぐに治療に繋げていたら、と思うと悔しくて仕方ありません。
腎機能は下がったら回復することは無いそうです。
だから早めに気づいて検査をしなければならないのです。
あと二年で透析をしなければならない。
ということは、もし江戸時代なら余命はあと二年だったのか私は。
四十二歳!
江戸っ子は塩辛いものを食べていたから、そうやって亡くなった人も多いのかなあ・・・
江戸時代では平均寿命に近いかもしれないけど、今は二十一世紀だよ。
余命二年だとなると、死ぬまでに色々やらないといけないことがある、忙しいなあ。
遺影も今のうちにプロに撮ってもらって、ガッツリ修整してもらって・・・
何よりこの経緯をブログに載っけて、医師への恨みを綴り、世の中の人への啓発をする!
これが診断を受けたときに思ったことでした。
そして長寿は自分には関係ない事なんだ、と諦めました。
長生きしたら、自分がどんな風に老いていくのか全く想像も付いていませんでしたが、いずれ透析をするようになって、他の病気にもなったりしたら、というのは簡単に想像が付きました。
その後、虐待を受けた人は寿命が平均より短いという論文を見て、マジで長寿が無関係なのを悟りました。
そして自分が別に長寿を望んでいなかったことにも気付きました。
病院に通っているとお年寄りを沢山見かけますが、足が悪かったり、辛そうにしている方もいらっしゃいます。
それがどんなに大変か、若い人は気が付けないと思いますが、いずれ自分がそうなったときのことを考えると、果たして自分は耐えられるのか、甚だ疑問です。
子どもを持つことも望まなかった私ですが、長生きさえ望んで無かったんだということを、四十歳で気付きました。
その根っこには、虐待された事が原因としてあり、いろいろと諦めているし期待もしていない自分の本質が浮き彫りになりました。
ちなみに2023年に三回入院して二回手術を受けたこと、IgA腎症であることは、実家の家族には全く話していません。
言う必要が今のところ感じられないからです。
いよいよ死ぬときになっても、知らせたいとは思っていません。
事後報告で良い、と夫には言っています(本気にしているかは分かりませんが)。
死に際に集まられたくないんです、今の感触としては。
死に際の顔とか、人に見られたいと思いますか?
祖母や祖父が、夜寝ている内に亡くなり、朝に発見されたのですが、私もそうでありたい。
出来れば景色の良いところにある病院に入院して(高原や海など)、人がいないときに死ねたら最高です。
実際には難しそうですが。
今年の入院は都内の景色も見えない古い病院でしたが、ここでだけは死にたく無いな、と思っていました。
綺麗な病院に入院したいし、快適な病室で過ごしたい。
死ぬ時に望むのはそのくらいでしょうか。
葬式は密葬で、自分のための墓も要らない。
ちなみに、私は卒業式で袴を着たことも無い、二十歳で振り袖を着たことも無い、成人式にも出ていない、記念写真も無い、披露宴も望まなかった、ダイヤの入った指輪も要らない、など人生全般、無い無い尽くしのオンパレードです。
自分で望まなかったのでそうなったのですが、友人が振り袖を着るために色々準備しているのが、他人事にしか感じられませんでした。
妹がいるのですが、彼女は親に虐待をされておらず、上記の全てを人生において行っています。
すごく対照的だなと思います。
一度も殴られたことの無い人って、人生の記念すべき時にやることをちゃんとやれるのだなと。
親に高い振り袖を買って欲しいとお願いできるんだな、と。
妹が何か自分のためにイベントを用意する度、私はひそかに「ひえっ」と驚いていました。
死ぬとか病気とか書いていますが、悲しい、暗いと感じますか?
書いている本人は全く悲しくないのですが、無い無い尽くしなのは自分の性格によるものでもあるし、考え方がそうだったというのもあります。
人に期待しすぎても、結局人は裏切る時は裏切る生き物なので、あまり意味が無いということです。
感情的になりすぎる必要は無いです。
小さいときに、「親ですら頼れるものは無いんだな」と気付いて以来、考え方がドライになったのかもしれません。
いろいろと思いつくままに書きましたが、ただ最近のメディアでよく見られる「人生百年時代」という言葉にはイラッとします。
百年生きられなさそうな人も沢山いるのに、気安く言うなよ。
いくら医療が発達しても、無理な人もいるんだよ。
どこ見て言ってんだよ!
たとえ百年生きたって、幸せと言えるのか?
「これから私たちは百歳まで生きていきますし~」とか平気で言える人って何なんだろ。
長寿希望が無い私ですらイラッとします。
おめでたいと思える「長寿」ですが、その言葉が百年生きられなさそうな人を傷つけています。