33歳で倒れてから、ずっと病院通いの私の生活 ~腎臓病と虐待と

33歳でめまいを発症し起き上がれなくなる。以後いくつもの病院を行脚し、現在はIgA腎症を治療中。

第十九回 一年かけて十七キロ減量した話

今回は、私が一年かけて十七キロの減量をした話です。

日本でコロナ禍が始まろうとしていた2020年二月。

その頃私は胃腸の調子が悪く、気付いたら体重が四十三キロにまで落ちてしまいました。

身長が百六十一センチでこの体重は、私には危険です。

ベスト体重が五十キロ前後なので、四十三キロでは身体が軽すぎる感じがしました。

その頃取った顔写真が、頬がこけていて怖いです。

痩せようと思って痩せたわけではなく、胃腸が悪くて知らない内に痩せていました。

人は痩せすぎると尻の肉や脂肪が減ってしまい、椅子に座るのと骨が当たって痛くなります。

これが地味にうっとうしい。


そこから胃腸の調子が回復するにつれ、だんだんと体重が戻ってきたのですが、二年くらいかけて、今度は人生でMAXの六十八キロまで体重が増えてしまいました。

要するにリバウンドです。

急激に体重が落ちると、体が危険を感じて、頑張って体重を増やそうとする。

…かどうか、詳しい仕組みは分かりませんが、ダイエットにつきもののリバウンドです。

一か月で一キロづつ、確実に増えて行きました。

コロナ禍ということもあり、ますます外出を控え、運動をしていませんでした。

というか、2015年に体調を崩して以来、ずっと引きこもり気味でした。

いや、生来私は元から引きこもり気味でした。

外が怖く、一番好きなのが自分の部屋で、二週間外出しなくても全く平気、むしろ快適。


六十八キロになった私は、痩せてしまった時より困っていました。

朝起きる時、布団から出るのが辛い。

膝に負担がかかるからです。

血液検査の数値が悪くなった。

悪玉コレステロールの数値が爆上がり。

去年来ていた服がきつくて着られなくなった。

下着から何から、買い替えることになり不経済。

特に好きだったメーカーの服が、一番大きいサイズでも入らなくなり、

「このメーカーはサイズ設定に『デブはお断り』感が昔からあったが、とうとう私も拒否された…!」

とショックを受け、その後は痩せましたが、今も買っていません。


この頃ちょうど腎臓内科に通い始めたのですが、医師からも「痩せた方が良い」と言われ、決意しました。

糖尿病になる恐れもあるからです。

太っているだけで色々な内臓に負担がかかる、その事実が怖すぎる。

人が「痩せよう!」と決意するとき、まずは楽な方法を探します。

食べる量を減らす、ストレッチをする、などです。

しかしそれでは健康的な痩せ方が出来ないのです。

私に課された課題は「健康的に痩せること」で、そのためには方法は「有酸素運動」しかないのでした。

有酸素運動といえばウォーキングですが、私は生来の引きこもり体質。

おまけに寒い時期は長く歩くと、寒冷じんま疹で足が痒くて歩けない。

家の中で出来る運動で痩せるしかない、とYouTubeで検索をすると、もの凄い数の動画がヒットしました。

どうやらコロナ禍での運動不足を解消したい人のための需要が増えたようです。

いくつか試してみて、年齢的に自分に合うチャンネルを見つけました。

ちなみに、自分に合わない、しっくりこないものは続きませんでした。


次回へ続きます。

第十八回 若者の食生活と運動の必要性

タイトルがめっちゃ堅苦しいですね。

久しぶりの投稿となりました。

「便りの無いのは元気な証拠」って、誰が言ったのかしら?

私の場合は「便りの無いのはホントに元気の無い証拠」です。

元気が無いから便りが書けないのが、普通だと思うけど。

ここ数ヶ月、めまいがしたり、元気が無かったりして、「すわ更年期か?」と思ってました。

私は腎不全なのでタンパク質制限をしているのですが、あまりに肉を食べなかったため

に、元気とやる気が無くなっていたようです。

少しずつ肉を食べるようにしたら、マシになってきました。


今回お伝えしたいのは、若い人の食生活が心配であること、そして運動の必要性につい

てです。

動画配信などで、若い人が食べ物を食べながら日常のことを語るジャンルのものがよく

あるんですけど、そのとき食べている食べ物が・・・見ていて本当に心配になります。

ジャンクなもの、コンビになどで売っているもの、外食など、塩分がもの凄く高い食事

なので、そのままの食事をしていると将来、確実に身体に影響が出るからです。

そういう人はカロリーも取り過ぎているので、肥満の人が多いです。

動画を視聴している人たちは比較的若い層が多く、そのジャンクな食事に対しても違和

感なく見続けて、「食事ってこんな感じで良いんだ~」と思ってしまわないか不安を抱

いています。

動画のコメント欄にも、その偏った食事について指摘しているものは全然無いんですよね。

皆さん、空気読んでますね。


コロナ禍以降、身の回りに肥満の人が増えましたが(私もその一人です)、折も折、世

の中に「ボディポジティブ」という言葉が登場し、「自分の身体をありのまま愛そう」

という考え方が広まりました。

今まで痩せていることが素敵だとされていた価値観を考え直そう、というものですが、

それはルッキズム(外見至上主義)に対してのカウンターであり、個人の健康に対する

ものでは無いとうことが重要です。

私自身は、元々痩せ型体形で生きてきましたが、2021年頃から人生最大になるまで体重

が増え、一年かけて運動をし、2023年の冬に元の体重に戻しました。

この経緯についてはまた後で書きます。


「太ったままで良いよね~」と太っている人は言いますが、身体のことを考えたら、良

いわけが無いと思います。

血液検査をしてみて、数値に異常が無ければまだマシですが、生活習慣病として将来身

体に影響が出てくるので、運動できる人、体重を管理できる人は体重を減らす努力をし

て欲しいです。

出会った人に「痩せたいんだよね」と言われれば、自分が痩せた方法を教えます。

でも、身内でも太っている人がいますが、痩せたいと言われない限りこちらからは何も

言えません。

直接は人に言えないからブログを書いているのです。

「痩せなよ!そのままだと危険だよ!」なんて、身内だとしても失礼すぎて言えないか

らです。

本人が望んでないのにクソバイスをすると、痩せることがより遠のくからです。

本人自らが、絶対痩せたい!と決意しないと、運動は続きません。

健康のために運動し、痩せる。体力を維持する。筋肉を付ける。

人はこの習慣を身につけないと健康が遠のいていくのですが、中々実行に移す人はいません。

一般に言われる「ダイエット」は、運動すれば成功する確率が高いのですが、人は運動

が何よりも嫌いで面倒だと思っているので、痩せるために食事を減らしたりサプリメン

トを飲んで脂肪をなくすといったような方法を取ります。

私は色々な体調不良や病気を経験して知ったのですが、どんな病気もまずは「有酸素運

動をしましょう」と言われます。

有酸素運動をすることが健康への近道で、体型の維持にも繋がるんだと、この一年でや

っと悟りました。

若い内からこのことを知っておけば、もっと元気でいられたのに。

運動をする習慣が身についていないまま大人になったら、運動を始めるのも辛いですよ

ね。

小学校では体育で運動する機会があったけど、中学校で部活を文系にしたら一気に運動

しなくなりました。

身長が伸び体重が増えてきて、動くのがしんどくなってくるからだと思います。

もう、学校で教えて欲しい。

人生に運動は一生必要だと。

そんで「基礎体力部」とかを作って、子どもたちに運動をする基礎を身につけさせてほ

しい。

スポーツで身体を酷使するとか、誰かと競わせるとかの運動では無く。

生きていくのに必要な習慣だよ~、それは自分のためなんだよ、って教えて欲しかった。


次回は私が一年かけて運動した経緯について書こうと思います。

第十七回  人生百年時代は無関係

私は四十歳で、このまま行くと腎臓の機能があと二年しか持たない。と紹介された腎臓内科で診断を受けました。

三十三歳で倒れてからずっと内科に通っていたのに、腎機能の数値も血液検査に出ていたのに、最初から見てもらっていた主治医はそれをずっと見逃していたのです。

腎臓内科を受診したところ、他のクリニックからも同じような事情で来た、という方がいらっしゃいました(プライバシーが無いに等しい診察室なので隣の話が丸聞こえでした)。

血液検査の結果一覧で、腎機能を示す数値eGFRはただ数値が載っているだけで、正常値より上ですよとか下ですよ、という印が付かない項目でした(私の通っていた内科では)。

この数値は百が「腎臓の機能が百パーセント働いている」目安であり、数値が下に行けば行くほど機能が落ちているという意味です。

他の検査項目は大体は正常範囲が書いてあるのに、なぜこれだけが書いていないのか?こんな大事な数値なのに?

皆さん、今すぐ検診の項目をチェックしてください。

内科の最初の血液検査でのeGFRは、すでに六割くらいの数値でした。

年齢にしては低すぎる数値です。

その時すぐに医師が指摘していれば、すぐに治療に繋げていたら、と思うと悔しくて仕方ありません。

腎機能は下がったら回復することは無いそうです。

だから早めに気づいて検査をしなければならないのです。


あと二年で透析をしなければならない。

ということは、もし江戸時代なら余命はあと二年だったのか私は。

四十二歳!

江戸っ子は塩辛いものを食べていたから、そうやって亡くなった人も多いのかなあ・・・

江戸時代では平均寿命に近いかもしれないけど、今は二十一世紀だよ。

余命二年だとなると、死ぬまでに色々やらないといけないことがある、忙しいなあ。

遺影も今のうちにプロに撮ってもらって、ガッツリ修整してもらって・・・

何よりこの経緯をブログに載っけて、医師への恨みを綴り、世の中の人への啓発をする!


これが診断を受けたときに思ったことでした。

そして長寿は自分には関係ない事なんだ、と諦めました。

長生きしたら、自分がどんな風に老いていくのか全く想像も付いていませんでしたが、いずれ透析をするようになって、他の病気にもなったりしたら、というのは簡単に想像が付きました。

その後、虐待を受けた人は寿命が平均より短いという論文を見て、マジで長寿が無関係なのを悟りました。

そして自分が別に長寿を望んでいなかったことにも気付きました。

病院に通っているとお年寄りを沢山見かけますが、足が悪かったり、辛そうにしている方もいらっしゃいます。

それがどんなに大変か、若い人は気が付けないと思いますが、いずれ自分がそうなったときのことを考えると、果たして自分は耐えられるのか、甚だ疑問です。

子どもを持つことも望まなかった私ですが、長生きさえ望んで無かったんだということを、四十歳で気付きました。

その根っこには、虐待された事が原因としてあり、いろいろと諦めているし期待もしていない自分の本質が浮き彫りになりました。

ちなみに2023年に三回入院して二回手術を受けたこと、IgA腎症であることは、実家の家族には全く話していません。

言う必要が今のところ感じられないからです。

いよいよ死ぬときになっても、知らせたいとは思っていません。

事後報告で良い、と夫には言っています(本気にしているかは分かりませんが)。

死に際に集まられたくないんです、今の感触としては。

死に際の顔とか、人に見られたいと思いますか?

祖母や祖父が、夜寝ている内に亡くなり、朝に発見されたのですが、私もそうでありたい。

出来れば景色の良いところにある病院に入院して(高原や海など)、人がいないときに死ねたら最高です。

実際には難しそうですが。

今年の入院は都内の景色も見えない古い病院でしたが、ここでだけは死にたく無いな、と思っていました。

綺麗な病院に入院したいし、快適な病室で過ごしたい。

死ぬ時に望むのはそのくらいでしょうか。

葬式は密葬で、自分のための墓も要らない。

ちなみに、私は卒業式で袴を着たことも無い、二十歳で振り袖を着たことも無い、成人式にも出ていない、記念写真も無い、披露宴も望まなかった、ダイヤの入った指輪も要らない、など人生全般、無い無い尽くしのオンパレードです。

自分で望まなかったのでそうなったのですが、友人が振り袖を着るために色々準備しているのが、他人事にしか感じられませんでした。

妹がいるのですが、彼女は親に虐待をされておらず、上記の全てを人生において行っています。

すごく対照的だなと思います。

一度も殴られたことの無い人って、人生の記念すべき時にやることをちゃんとやれるのだなと。

親に高い振り袖を買って欲しいとお願いできるんだな、と。

妹が何か自分のためにイベントを用意する度、私はひそかに「ひえっ」と驚いていました。


死ぬとか病気とか書いていますが、悲しい、暗いと感じますか?

書いている本人は全く悲しくないのですが、無い無い尽くしなのは自分の性格によるものでもあるし、考え方がそうだったというのもあります。

人に期待しすぎても、結局人は裏切る時は裏切る生き物なので、あまり意味が無いということです。

感情的になりすぎる必要は無いです。

小さいときに、「親ですら頼れるものは無いんだな」と気付いて以来、考え方がドライになったのかもしれません。

 

いろいろと思いつくままに書きましたが、ただ最近のメディアでよく見られる「人生百年時代」という言葉にはイラッとします。

百年生きられなさそうな人も沢山いるのに、気安く言うなよ。

いくら医療が発達しても、無理な人もいるんだよ。

どこ見て言ってんだよ!

たとえ百年生きたって、幸せと言えるのか?

「これから私たちは百歳まで生きていきますし~」とか平気で言える人って何なんだろ。

長寿希望が無い私ですらイラッとします。

おめでたいと思える「長寿」ですが、その言葉が百年生きられなさそうな人を傷つけています。

第十六回 年齢を重ね酷くなっていく月経と、病院通い生活の始まり⑩寿命が短いことをなんとなく察している

前回の続きです。


今年で通院生活が始まってから七年、来年は八年目です。

いつも大体、病院へは平日の午前中に行くのですが、患者さんはほぼお年寄り、発熱した子どもです。

三十代で平日に薬をもらいに来ている人って、世の中で本当に少ないんですよね。

仕事をしている人は土曜日に病院へ通っている人もいるでしょう。

そういう方の邪魔にならないように平日に通っているわけですが。

人は年老いてから血液検査の数値が悪くなり、あちこち身体にガタが来て病院に通い始めます。

だから病院はお年寄りの方が多いのですが、私は三十代からそれをやっているわけです。

なので必然的に寿命は短そうです。

五十代で身体の調子を崩す方が多いと思いますが、それより二十年も早く崩しているのです。

今年になって知った事実として、虐待を受けて育った人は、ストレスに抵抗する物質が虐待を受けていない人に比べて少なく、

炎症系の病気に罹りやすいと言うことです。

また、癌や心臓病、慢性疾患、精神疾患心身症を生涯にわたって発症しやすくなるそうです。

私は専門家では無いので、めっちゃざっくりとした感じでしか言えませんが、自分にほとんど当てはまるので、

「ショックだけど多分その通りだわー」と思いました。

色々な本を読んでいると、何らかの依存症になりやすい人や自傷癖のある人も大体、子どもの頃から虐待を受けているのですが、

やっぱりそれも自分に当てはまるところがあって納得していました。

私は「親にもらった身体を傷つけるなんて・・」的な価値観が一切無いので、自分がしたければ身体改造もしたい派です。

ピアスは耳が小さくて両耳に一つずつしか開けていないのですが、もっと耳が大きければ増やしていたでしょう。

ピアスを開けたとき、自分が少し変われた気がして嬉しかったです。

痛いのが苦手なので軟骨にピアスとかタトゥーは無理です。

それらも一見オシャレのためと思われがちですが、私は自傷行為の一種だと思っています。

やけ酒も自傷だし、奔放な性関係を結ぶのも自傷

この世には自傷行為と依存症があふれていると思います。


現在の私は相変わらず通院しながら生活していますが、腎臓の治療をしてからは以前よりも疲れにくく、まあまあな体調で毎日を過ごしています。

それでも毎日「死にたい」気持ちが続いていますし、ストレスも多いです。

大人って、生きるのが大変。

生活習慣に最大限気をつけていますし、出来ないことも多い。

外出は基本的に通院がメイン、他は近所に買い物に行くくらいですがそれすら億劫で外に出られないこともしょっちゅう。

外出するとカフェやレストランに行くのは普通のことですよね。

私は食物アレルギーが三十代で増えてしまい、何が入っているか書かれていない外食があまり出来ないです。

カフェも、コーヒー、紅茶、炭酸が飲めないので居場所がありません。

外国のように、ミネラルウォーターがあったら良いのに(しばらく外食していないので分かりませんが、今は置いてあるのかな?)。

外出しても、食事や休憩できるところが無い。

これは地味に困ります。一回の外出で、飲まず食わずで帰ってこられる範囲の予定しか立てられないんです。

そして通院生活中盤で始まってしまった、新型コロナの流行。

腎機能が低いので重症化する可能性があり、マスクを外す飲食店にはもう入れないかもしれないことが決定。

体調を崩して倒れた時点で、外食に対する興味は無くなっていたのですが、外出して疲れたときに休める場所が無いのは非常に困る。

新型コロナも、免疫はつかずに毎年流行るような、インフルエンザみたいになるような気がします。


このあたりで、『年齢を重ね酷くなっていく月経と、病院通い生活の始まり』シリーズはひとまず終わります。

今後は生活や健康に関するブログを引続き書いていきたいと思いますので、宜しくお願いいたします。

第十五回 年齢を重ね酷くなっていく月経と、病院通い生活の始まり⑨月経よサラバ

前回の続きです。


色々な治療を探し、ようやく体調がマシな状態へ近づいてきました。

今も時々、軽いめまいがあったりしますが、昼寝をして無理をしないなど、なんとか生きています。

内科や精神科、腎臓内科、婦人科など今もいくつもの病院へ通っているのは変わりませんが。

そして2023年は子宮全摘しましたので、完全に月経とはオサラバです!!

血がいつ出てくるか分からない状況って、私にとってはすごく神経が消耗することでした。

災害時に備えてナプキンを多めに常備してとか考えるのも面倒くさい。

ナプキンを付けていると痒いし、というか最後の方は月経一日目にはすでに痒い、という最悪な状況でした。

痒みがあって当たり前、と言う人もいますが、私はそうは思いたくないです。

それと、子宮があった頃は真夏以外、腹巻きが欠かせませんでした。

お腹が冷えると冷えが子宮に伝わり、痛みが出るからです。

今後は真冬にお腹が寒くて腹巻きをするくらいだと思います。

夏場以外のカイロからも解放され、カイロが余りました。


今の私のアイデンティティは、「子宮全摘したぜ!もう月経来ない!YEAH!!」

です。

取った子宮には筋腫が四つあり、一部腸と子宮内膜が癒着していて、痛みの原因の一つではあったかもね、との診断でした。

エコーで見ていたときは、筋腫は二つと言われていて、他に所見は無かったので、手術してみないと分からんもんだなあと思いました。

ほっといたら筋腫はもっと増えていたんじゃないかと自分でも思います。

精神科の先生(男性)に子宮全摘します、と伝えたら「女性にとっては辛いでしょう・・」と言われましたが、私に限ってはそんなことは全然無く、むしろ手術前に飲んでいる偽閉経を起こす薬の方が辛いんですよ先生。

夫に、「男性の方が玉を取るとかなったら、辛いんじゃない?」と聞いてみたら、そうだと思う、と返ってきました。

私は元々、生殖器や性的なことにアイデンティティを見い出してはいない人間なので、身体のデメリットを一つ取り除けて嬉しいくらいです。

月経が無いと女じゃ無くなるとか、誰かが言ってたセリフはどうでもいい。

それは個人の価値観でしか無く、それぞれが自分の性や身体に対して、己で築いた価値観を持っていればそれで良い。

自分の性自認アイデンティティは、自分で決めるものです。


常備していたナプキンは全部捨てました。

捨ててビックリ、すごく収納場所を取ってました。

おりものシートは、まだ一応おりものは出るものなので保留。これも痒くなるけど。

これからお世話になるのは尿漏れパッドでしょう。


次回へ続きます。

第十四回 年齢を重ね酷くなっていく月経と、病院通い生活の始まり⑧ミニピルが効いた後の衝撃

前回の続きです。


やっと・・・長年の地獄から解放された私です。

一ヶ月に一日しか元気な日が無かったのが、今では一ヶ月ずっと元気。

しかも月経無し、排卵痛ほとんど無し。

たまに調子の悪い日は、疲れてるのかも、と無理をしないで休みます。

無理をしない、というのも、めまいや体調の悪さを何年も経験したことから、身についたことの一つです。

ずっと休まないという生き方をしていると、自分が疲れていることにも鈍感になっていきます。

すると人は、ある日突然バタッと倒れます。

そういう人が結構いらっしゃるので、見ていて心配です。

自分の身体の調子や疲れに意識を向けて生きるようになると、無理をしないような考え方になっていきます。

今日は無理をしないでおこう、胃が疲れてるからお粥にしよう、少し昼寝してみよう、などです。


女性ホルモンを補って、やっと普通の生活に戻った私ですが、月経が無くなったことで衝撃の事実に気がついてしました。

「男性の日常ってこんな感じなのか・・・!?」と。

月経やそれに伴う不快な症状、「ナプキン買いに行かなきゃ!」という煩わしさ、予定を立てる時に次の月経に重ならないかの配慮。

通院するのもやっとだった体調が最悪の頃、月経の予定まで考慮して予約しなければならない(起き上がれないから)のが、何よりめんどくさかった。

・・・男性ってこんなこと一切考えずに生きてこれたんだ・・・!!

早速、夫に聞いてみました。

予想通りの答えが返ってきました。

私は愕然としてしまいました。

毎月毎月、初潮が来てから二十数年の間、我慢していたことが男性には全く無関係だったのか・・・

月経が来て一度も嬉しいと思ったことなんか無いし、むしろ自分を苦しめる悪魔のように感じていたものが・・・

夫によると、一ヶ月の間、体調は全く平坦で、何も変わらないそうです。

女性は、程度の差はあれ、毎月女性ホルモンという名のジェットコースターに強制的に乗せられ、さんざん振り回され、それでもなんとか社会と折り合いを付けて勉強をしたり、仕事をしたり、家事育児をしなければならないのです。

経血が漏れて服に染みたままだと恥ずかしいから、気をつけなきゃ、とか思っていた自分がかわいそうになってきました。

そんなこと考えなくても別に良かったんだ。

外出先で漏れて失敗したのは高校生の時の一回だけでしたが、なんならもっと漏らしときゃ良かった!と思いました。

女性の大変さを社会へ見せつけるために。

血が付いてても、ナプキンを隠さずそのまま手に持ってても、全然良かったわけだ。

要らぬ配慮を意味無くしていたわけだ、二十数年間も・・・!

愕然とした後に怒りが湧いてきてしましました。

有史以来、こんな理不尽な身体で生きてきたわけだ、女性たちは・・・

日本で低用量ピルが解禁されたのはほんの最近、1999年です。

高用量ピルは1957年ですが、副作用が強すぎて、飲めなかった人が沢山いたんじゃなかろうか。

二十一世紀直前まで、日本の女性たちはほったらかされていた。

調子が悪くても、自分でなんとかしろ、と。出来ねえわ!

無理でしょ。それで専業主婦が多かったのではないか、とも思います。

月経で寝込む人は、そこら中にいます。見えていないだけで。

女性が自分の性を自らコントロールするのを恐れていたのでしょう、反対していた偉い人たちは。


今は低用量ピルの使用目的として、女性ならではの体調の悪さを治療するということに重きが置かれている気がします。

勉強や仕事に差し支えないように。

 

小学生の時、性教育の授業で、私の学校は男女一緒に習っていましたが、男女別々に習った学校も沢山あります。

私が中学生の時、家で月経中にトイレを流し忘れて便器が血まみれだった時、それを見つけた母が「お父さんが見たらどうするの!」
と怒りました。

いや別に、「生理中なんだな」と思うだけだろ。

こっちは毎月血を見てんだから、一回見たくらいで何なんだよ騒ぐな、とムカつきました。

月経は隠さなきゃいけないものだ、血を服に付けて歩いてはいけない、プールも無理して入れ!(私は断固として休んでました)

という世の中が嫌いでしょうがなかったです。

ようやく大人になり、誰の許可も取らず自分で治療法を選択できるようになり、清々しています。


次回へ続きます。

※第十三回よりも第十四回の記事を先に掲載してしまいましたので、この記事は再掲載いたしました。スターを下さった方、申し訳ございませんでした。

第十三回 年齢を重ね酷くなっていく月経と、病院通い生活の始まり⑦ミニピルを飲み始める

第十一回からの続きです。


婦人科で先生は「ミニピル」を提案してくれました。

この婦人科のホームページに「ミニピル」って書いてあったな・・何なのかはよく分からないけど。

私はピルと聞いて、昔低用量ピルが気持ち悪くて飲めなかったので、ひるみました。

でもこの年齢の女性(この時私は三十九歳でした)はミニピルで治療をするそうです。

ネットで調べたら、三十五歳くらいから処方されるようです(病院ごとに治療方針は異なるので、一律ではありません)。

新しい薬を飲むときは毎回、緊張します。

酷い副作用が出ることがよくあるからです。

ミニピルも人によりますが、飲んでみようと思いました。

この婦人科ではよく処方する薬で、先生自身も飲んでいらっしゃるそうです。

ある人はミニピルを飲んだ次の日から、トラブルと月経が一切無くなったそうです。

私の場合はどうだったかというと。

飲んで最初の三ヶ月は、普通にお腹も痛いし頭痛もある月経が来ました。

しかも月経が終わったら、その明後日には次の月経が来るという地獄のスケジュールです。

何よりナプキンをずっとしていないといけないのが非常にめんどくさかった。

でも月経が連続しているため、経血量は少なく、だんだんとお腹の痛みが楽になっていきました。

四ヶ月を過ぎると月経は月に一回になり、ミニピルを飲み始めて五ヶ月目にはミレーナを外してもらいました。

避妊に効果があるためそのまま使っていても良いらしいのですが、違和感があり痛みを感じていたので決めました。

ミレーナを外したためか、その後すぐに一度月経あり。

ミニピルを飲み始めて六ヶ月後、月経が無くなる。

八ヶ月後までは、排卵痛や腹痛も結構ある。

それ以降は、月に一度、排卵痛かな?と思う程度の軽い痛みがあるくらいになりました。

PMSの症状は全く無し。よって毎日元気でいられる。

長かったですね・・・よく頑張ったと自分を褒めたい。

このように、ミニピルを飲んだ後、どのくらいで効果が出るのかは本当に人それぞれです。

ものすごく個人差が出ます。

続けられたのは、やはり少しづつ症状が軽くなっていくのを実感できたからです。

あと、気持ち悪くなるなどの副作用が無かったことです。

ミニピルについてはネットでも様々な情報が出ていますが、試してみないと分からないことが多いな、と思います。

お悩みの方は、婦人科の主治医の方と相談してみて下さい。

すべての婦人科で処方されるわけでは無いようなので、病院のホームページで治療方針を確認してからのほうがオススメです。


次回へ続きます。

※第十三回のこの記事より第十四回の記事を先に掲載してしまいましたので、第十四回はいったん削除させていただきました。スターを下さった方、申し訳ございませんでした。