第十四回 年齢を重ね酷くなっていく月経と、病院通い生活の始まり⑧ミニピルが効いた後の衝撃
前回の続きです。
やっと・・・長年の地獄から解放された私です。
一ヶ月に一日しか元気な日が無かったのが、今では一ヶ月ずっと元気。
しかも月経無し、排卵痛ほとんど無し。
たまに調子の悪い日は、疲れてるのかも、と無理をしないで休みます。
無理をしない、というのも、めまいや体調の悪さを何年も経験したことから、身についたことの一つです。
ずっと休まないという生き方をしていると、自分が疲れていることにも鈍感になっていきます。
すると人は、ある日突然バタッと倒れます。
そういう人が結構いらっしゃるので、見ていて心配です。
自分の身体の調子や疲れに意識を向けて生きるようになると、無理をしないような考え方になっていきます。
今日は無理をしないでおこう、胃が疲れてるからお粥にしよう、少し昼寝してみよう、などです。
女性ホルモンを補って、やっと普通の生活に戻った私ですが、月経が無くなったことで衝撃の事実に気がついてしました。
「男性の日常ってこんな感じなのか・・・!?」と。
月経やそれに伴う不快な症状、「ナプキン買いに行かなきゃ!」という煩わしさ、予定を立てる時に次の月経に重ならないかの配慮。
通院するのもやっとだった体調が最悪の頃、月経の予定まで考慮して予約しなければならない(起き上がれないから)のが、何よりめんどくさかった。
・・・男性ってこんなこと一切考えずに生きてこれたんだ・・・!!
早速、夫に聞いてみました。
予想通りの答えが返ってきました。
私は愕然としてしまいました。
毎月毎月、初潮が来てから二十数年の間、我慢していたことが男性には全く無関係だったのか・・・
月経が来て一度も嬉しいと思ったことなんか無いし、むしろ自分を苦しめる悪魔のように感じていたものが・・・
夫によると、一ヶ月の間、体調は全く平坦で、何も変わらないそうです。
女性は、程度の差はあれ、毎月女性ホルモンという名のジェットコースターに強制的に乗せられ、さんざん振り回され、それでもなんとか社会と折り合いを付けて勉強をしたり、仕事をしたり、家事育児をしなければならないのです。
経血が漏れて服に染みたままだと恥ずかしいから、気をつけなきゃ、とか思っていた自分がかわいそうになってきました。
そんなこと考えなくても別に良かったんだ。
外出先で漏れて失敗したのは高校生の時の一回だけでしたが、なんならもっと漏らしときゃ良かった!と思いました。
女性の大変さを社会へ見せつけるために。
血が付いてても、ナプキンを隠さずそのまま手に持ってても、全然良かったわけだ。
要らぬ配慮を意味無くしていたわけだ、二十数年間も・・・!
愕然とした後に怒りが湧いてきてしましました。
有史以来、こんな理不尽な身体で生きてきたわけだ、女性たちは・・・
日本で低用量ピルが解禁されたのはほんの最近、1999年です。
高用量ピルは1957年ですが、副作用が強すぎて、飲めなかった人が沢山いたんじゃなかろうか。
二十一世紀直前まで、日本の女性たちはほったらかされていた。
調子が悪くても、自分でなんとかしろ、と。出来ねえわ!
無理でしょ。それで専業主婦が多かったのではないか、とも思います。
月経で寝込む人は、そこら中にいます。見えていないだけで。
女性が自分の性を自らコントロールするのを恐れていたのでしょう、反対していた偉い人たちは。
今は低用量ピルの使用目的として、女性ならではの体調の悪さを治療するということに重きが置かれている気がします。
勉強や仕事に差し支えないように。
小学生の時、性教育の授業で、私の学校は男女一緒に習っていましたが、男女別々に習った学校も沢山あります。
私が中学生の時、家で月経中にトイレを流し忘れて便器が血まみれだった時、それを見つけた母が「お父さんが見たらどうするの!」
と怒りました。
いや別に、「生理中なんだな」と思うだけだろ。
こっちは毎月血を見てんだから、一回見たくらいで何なんだよ騒ぐな、とムカつきました。
月経は隠さなきゃいけないものだ、血を服に付けて歩いてはいけない、プールも無理して入れ!(私は断固として休んでました)
という世の中が嫌いでしょうがなかったです。
ようやく大人になり、誰の許可も取らず自分で治療法を選択できるようになり、清々しています。
次回へ続きます。
※第十三回よりも第十四回の記事を先に掲載してしまいましたので、この記事は再掲載いたしました。スターを下さった方、申し訳ございませんでした。
第十三回 年齢を重ね酷くなっていく月経と、病院通い生活の始まり⑦ミニピルを飲み始める
第十一回からの続きです。
婦人科で先生は「ミニピル」を提案してくれました。
この婦人科のホームページに「ミニピル」って書いてあったな・・何なのかはよく分からないけど。
私はピルと聞いて、昔低用量ピルが気持ち悪くて飲めなかったので、ひるみました。
でもこの年齢の女性(この時私は三十九歳でした)はミニピルで治療をするそうです。
ネットで調べたら、三十五歳くらいから処方されるようです(病院ごとに治療方針は異なるので、一律ではありません)。
新しい薬を飲むときは毎回、緊張します。
酷い副作用が出ることがよくあるからです。
ミニピルも人によりますが、飲んでみようと思いました。
この婦人科ではよく処方する薬で、先生自身も飲んでいらっしゃるそうです。
ある人はミニピルを飲んだ次の日から、トラブルと月経が一切無くなったそうです。
私の場合はどうだったかというと。
飲んで最初の三ヶ月は、普通にお腹も痛いし頭痛もある月経が来ました。
しかも月経が終わったら、その明後日には次の月経が来るという地獄のスケジュールです。
何よりナプキンをずっとしていないといけないのが非常にめんどくさかった。
でも月経が連続しているため、経血量は少なく、だんだんとお腹の痛みが楽になっていきました。
四ヶ月を過ぎると月経は月に一回になり、ミニピルを飲み始めて五ヶ月目にはミレーナを外してもらいました。
避妊に効果があるためそのまま使っていても良いらしいのですが、違和感があり痛みを感じていたので決めました。
ミレーナを外したためか、その後すぐに一度月経あり。
ミニピルを飲み始めて六ヶ月後、月経が無くなる。
八ヶ月後までは、排卵痛や腹痛も結構ある。
それ以降は、月に一度、排卵痛かな?と思う程度の軽い痛みがあるくらいになりました。
PMSの症状は全く無し。よって毎日元気でいられる。
長かったですね・・・よく頑張ったと自分を褒めたい。
このように、ミニピルを飲んだ後、どのくらいで効果が出るのかは本当に人それぞれです。
ものすごく個人差が出ます。
続けられたのは、やはり少しづつ症状が軽くなっていくのを実感できたからです。
あと、気持ち悪くなるなどの副作用が無かったことです。
ミニピルについてはネットでも様々な情報が出ていますが、試してみないと分からないことが多いな、と思います。
お悩みの方は、婦人科の主治医の方と相談してみて下さい。
すべての婦人科で処方されるわけでは無いようなので、病院のホームページで治療方針を確認してからのほうがオススメです。
次回へ続きます。
※第十三回のこの記事より第十四回の記事を先に掲載してしまいましたので、第十四回はいったん削除させていただきました。スターを下さった方、申し訳ございませんでした。
第十二回 わたしがブログを書く理由
特別お題「わたしがブログを書く理由」
わたしがブログを書く理由は、今年、IgA腎症という難病を告知されたことがきっかけでした。
このままだと腎機能はあと二年しか持たない、人工透析になるという事実を知ったら、書きたい衝動がブワーッと出てきました。
まだ四十一歳です。死を宣告された訳では無いんですが、宣告されたようなものだな、と思いました。
東京国立科学博物館に展示されていた、谷中で発見された江戸時代の女性のご遺体(ミイラ)のことを思い出したからです。
彼女は三十六歳で歯槽膿漏が原因で亡くなったと書いてありました。
そのときの衝撃と病気を告知された今の私の衝撃がリンクしたのです。
私は結婚してから八年間、精神的なものや身体の疲れ、重い月経、そして腎機能の低下から体調を崩し倒れ、三十三歳から通院生活をずっと送っている人間です。
今の時代だからこそ通院してなんとか生きていけているけれど、江戸時代だったら死んでてもおかしくないんだな、と思ったら急に死生観がハッキリクッキリと見えてきて、頭の中で言いたいことが浮かんで止まらなくなってきて今にも漏れそうなので、ブログに書いてみることにしました。
今年前半は腎生検から始まり三回の入院を経験しました。その他、重い月経の治療経験のことや倒れた原因など、ブログに書いて残したら同じ思いをしている方の役に少しは立てるかなと思いました。
今はIgA腎症の治療も終盤で、それが終わったらあとは腎機能がどのくらい持つかというところです。
体調は明らかに良くなりました。
最初は腎臓病のことを書こうと思っていたのですが、人生を振返って、倒れたときの原因の一つだった親に虐待された過去も全部書きたい、ていうか芋づる式にすべては関係しているので書かなきゃ。
この衝動は止められません。一度「死ぬかも?」と思ったら、世の中が変わって見えた。今まで見えなかったことを嫌でも見る機会が増えた。
私は個人の体験談が好きです。
特に、今まで取り上げられることの少なかった、女性の人生に関する個人の物語に興味があります。
ブログやSNSが使えるようになったおかげで、多くの人が個人の体験を発信できるようになりました。
その声が沢山集まることによって、大きな力になっていく。
世の中の価値観を変える、ムーブメントが起きていく。
誰かの体験談に助けられ、お互いの声が支えになる。
それを日々、感じています。
私もその片隅でブログを書くことで、誰かのためになったら良いな、と思っています。
第十一回 年齢を重ね酷くなっていく月経と、病院通い生活の始まり⑥ミレーナ使用開始
前回の続きです。
2019年ごろ、倒れて三年くらい経った頃、めまいや吐き気はだんだん収まってきてマシにはなってきていたものの、月経が最高潮に悪くなっていました。
月経時と月経前から、とにかくお腹が痛い。
激しい頭痛が半月ほど続く。
酷いPMS。
排卵痛も悪化して、一週間ずっと痛い状態でした。
排卵痛の時の方が、月経痛の時よりも寝込んでいました。
しかも排卵痛には鎮痛剤も効かない。
月経痛に対しては、お腹にカイロを貼るとラクにはなるタイプなのですが、それが出来るのは一年の内で十月から四月の間まで。
つまり寒い時期にしかカイロを貼れないし、貼っていても皮膚が熱さで痒くなったり、火傷しないようにハンカチでくるんだカイロをスパッツと腹巻きの間に挟むという状態がとてもうっとおしい。
婦人科でエコーをしてもらっても異常は何も無いのですが、それでもこの状態です。
その頃飲んでいた漢方薬だけではどうしようもなくなっていたので、ネットで調べていたら、ちょうど「ミレーナ」というものがあることを知りました。
ミレーナとは子宮内に装着する避妊具で、IUSとも呼ばれています。
これを子宮内に挿入することで、黄体ホルモンが放出され子宮内膜の増殖を抑える働きがあります。
そのため、避妊に効果があり月経が軽くなるという一石二鳥のものです。
早速ミレーナを奨めている病院を検索、受診しました。
婦人科の治療はかなり個人差と相性があるので、「やってみないと分からない」の精神で試してみます。
受診した病院では、経産婦で無くてもOKということで、受診したその日にミレーナ挿入となりました。
子宮口あたり?にちゃんと麻酔もしてくれました。
私の場合はですが、子宮に入れたときの感覚は「軽めの月経痛ぐらいだな」でした。
この痛みも人によって感じ方が様々なので、激痛で入れられない人もいるそうです。
あとは先生の手技がお上手だったのだと思います。
ほんの五分くらいで終わりました。
そのあとは数時間、月経痛のような痛みがジンジンしていました。
そのあと月経はどうなったかというと、毎月少しずつ経血量と痛みが少なくなり、以前よりは楽になりました。
でも、私は元々子宮の大きさが小さめらしく、月経以外の時にも子宮に痛みが少しあり、違和感(のような異物感のような)もありました。
PMSに対しては漢方薬も出してもらい併用していました。
ミレーナは一度挿入すると、五年間はそのままでいいという優れものです。
でも、解決できない問題がありました。
それは、酷い頭痛です。
そしてPMS。
子宮の痛みにはかなり効くと思いましたが、頭痛とPMSには効果無しかも、でした(個人差があります)。
ミレーナは二年間使っていたのですが、その間に上記の二つがかなり悪化して、一ヶ月に一日しか元気な日が無いという最悪な状態にまで陥りました。
いつも身体が重く、どよーんとしている感じ。
午前中は大体寝込んでいる。
夏は湿気に負けて、元気が全く出ない。
逆流性食道炎や適応障害は大分落ち着いている(薬のおかげで)けど、月経関係がかなり酷い。
私のQOLが・・・最悪だ・・・こんな状態を我慢して生きているわけにはいかねえよ・・・!
ということで婦人科の先生に相談しに行きました。
そのとき年齢は三十九歳になっていました。
ホルモン量を調べてもらったら、標準よりかなり少ない数値が出ました。
なんでこんなに数値が低いのか原因は分かりません。
努力して増やせるものでも無い。
それだけでも、身体にこんなに影響が出るのかと思いました。
同世代や今まで接してきた女性たちの中で、こういう状態の人っていたのかな?
皆、元気に社会生活を送れているのかな?
多分、私のような状態の人は多くはないけど存在していて、主婦として家庭にいたり、外に出られなかったりして、世間にカウントされていないのではないか?と思います。
「女性の引きこもり」という特集をテレビで見ましたが、女性特有の身体の問題から来る理由で引きこもっているという人は出ていませんでした。
本当は結構存在していると思うけど。
無かったことにされたくないので、私は今ここに記しておきます。
女性の身体であることから来る特有の問題は、自分の意志でどうこうできるものではないから、余計に辛いです。
月経がいつ来るかなんてコントロールできないし、ホルモンバランスが整うかなんて体質次第だし、治療薬があっても全員が飲めてすべて解決!とはならないし、自分の身体なのに何一つ思い通りに出来ない。
理不尽な身体だなと思います。
生きづらい身体だと感じます。
そういう身体を持ちながら、社会生活との折り合いを付けていかなければならないんです、女性は。
第十三回へ続きます。(第十二回はちょっと寄り道です)
第十回 年齢を重ね酷くなっていく月経と、病院通い生活の始まり⑤ 休まない毎日と鎮痛剤依存
前回の続きです。
倒れて体調が悪化した原因はストレスで、二つ目まで書きました。
最後は「十年くらいずっと休んでいなかった」です。
二十四歳で専門学校に入学し、独り暮らしを満喫していましたが、勉強から友人との付き合いから農作業のアルバイトからサークル活動から、毎日充実して生きていました。
人生で一番楽しく元気でいられたのはその頃です。
卒業して同県で仕事を一年半ほどして、実家に帰ってからは自宅で装飾品を作って、ネットで販売するのを平日、土日は接客と眼を使う作業を伴うアルバイトをしていました。
この頃は何かしていないとかえって身体がだるくなる気がしたし、「休む」という概念を持っていなかったので毎日動いてました。
平日は家の中にいるけど、これもまた眼を酷使する作業で、近くばっかり見ているので遠くにピントが合いにくくなりました。
三十三歳で倒れて、やっと「休むこと」の大事さを知りました。
三十代は若いので、体力や気力を過信してフル活動しがちです。
いつか自分が倒れるなんて、想像もしていない。
身体にケアが必要なことも知らない。
そもそも「休む」という発想が無い・・・!
なので、どうか皆さん、適度に休む習慣を身に付けて下さい。
さて、目を酷使する仕事ばかり毎日やっていた私ですが・・・
最初は頭痛が毎日するようになり、肩こりが慢性化、頭痛薬を飲む回数が増える様になってきました。
実家に帰ってから月経痛も悪化していたので、最初は効き目が穏やかな頭痛薬だったのが、どんどん効き目の強いものじゃないと効かなくなって来ました。
イブプロフェン系の頭痛薬だったのですが、結局は鎮痛剤依存になっていました。
これがもしロキソニン系だったら、私の胃はとっくに穴が開いていたでしょう。
何年かの間、毎日頭痛薬が手放せない状態となり、どうやってやめたら良いのか自分でも分からない。
ネットで調べたら、まずは二週間断薬することだと書いてありましたが(あとは病院に通うか、それくらいしか情報が無い)、2021年頃は月経痛とそれに伴う頭痛と排卵痛とがすべて悪化して、一ヶ月に元気な日が一日しかない生活になり、痛みを抑える薬を飲まないと何も出来なくなっていました。
女性は肩周りの筋肉量が少ないのと運動不足、あとは頭痛が起きやすく月経も毎月来るので、鎮痛剤を飲む機会がかなり多くなるんじゃないかと思います。
でも私は、毎日鎮痛薬に依存していることを誰にも相談できなかったです。
鎮痛薬を買うお金も結構かかるし、どうにか止めたいとは思うのですが、どうしても飲んでしまう。
頭痛が怖いから。
私はIgA腎症という腎臓の難病を発症したのですが、三十代に鎮痛薬依存になったことで、腎機能もかなり落ちたと思います。
薬には実際、そういった注意書きがされていたのに、見て見ぬふりをした。
ちなみに毎日胃の調子も悪かったです。
いつも胃もたれしていて、夜は消化が悪いままなのでお腹が苦しくて寝付くのに二時間かかるのが普通でした。
そしてかなりの頻度で気持ちが悪い。
吐き気がしてしまうので、吐き気止めが必要でした。
そんな日々が突如として終わりました。
それは今年、子宮全摘手術をしたことがきっかけでした。
手術後に処方された鎮痛剤が、アセトアミノフェンだったのです。
鎮痛剤の知識があった私は、正直「アセトアミノフェンって穏やかな効き目の薬だから効くのかなあ?」と思いました。
飲んでみると、術後の痛みにも、頭痛にも、ちゃんと効いたのです。
以前、月経の激痛に全く効かなかったので私的には諦めていたのに・・・
改めて、月経痛ってどれだけ痛いのか・・・
処方されたアセトアミノフェンを飲み、二週間が過ぎ、少しの頭痛は我慢するように努め、イブプロフェンの鎮痛剤に頼らず生活できるようになりました。
そして一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月と経ち、今は時々頭痛があっても我慢できるか、月に多くて四回くらいのアセトアミノフェンの使用で済んでいます。
今ある頭痛は眼を使いすぎたときに起きる頭痛で、以前の鎮痛剤依存していたときのは「薬物乱用頭痛」でした。
依存から脱却した今は、胃の調子も良くなりました。
手放せなかった消化を良くする薬や吐き気止めも不要になりました。
以前は出かける前に必ず吐き気がするので、それは精神的なものから来ているのかと思っていました。
引きこもり気味で外が怖いので。
でも鎮痛剤依存が原因だったんですね。
そのきっかけになった月経痛しかり、原因を探して突き止めなければ変わることが出来ませんでした。
私の人生はその繰り返しのようなものです。
次回に続きます。
第九回 年齢を重ね酷くなっていく月経と、病院通い生活の始まり④ 子どもを産むかどうか
前回の続きです。
結婚したときに、世間ではちょうど、「女性の卵子の老化は三十三歳から始まる」といった言説があちこちで報道されていました。
同時に「孤独死」のニュースもよく見ました。
どちらも人を不安にさせる要素満載の内容ですが、今考えると何か意図的なものを感じますね。
不安を煽っておいて、それでも結局出生率は上がらなかったので、今になって見当違いな子育て支援対策ばっかり打ってますね。
今思うと不思議ですが、結婚する前、私も不安になっていた一人でした。
「子どもを絶対に産みたい!」と思っていたわけでは無いのに、リミットが近いと言われると何か焦る。
その焦った気持ちを持ちつつ結婚しました。ちょうど三十三歳です。
いざ結婚したら、家計の状態が子どもを持つには厳しいし(夫は大丈夫だと言うが私は無理だと思った)、私は結婚するときにパート仕事を一度辞めていました。
引っ越し先から通うには物理的に無理があったので。
そうすると、今から新たに仕事を探し妊活をすることになるけれど、仕事が決まったばかりで「妊娠しました」とか、言えるわけなくね・・・?
焦って考えていたら、頭がパンクしそうになりました。多分パンクしてました。
ですが一度パンクして冷静に考えた結果、私は人生で一度も本気で「子どもを産みたい」と思ったことが無いと気づいたのです。
三十歳を過ぎると結婚に対してすごく焦りが出てきて、周りからもうるさく言われて、世間体の方に合わせなきゃと、ずっと思っていたのです。
結婚→子ども(世間体)の呪いにまんまとかけられていたのです。
私は虐待されて自尊心低いし、自分の見た目も好きじゃ無いので自分に似た子どもが生まれたら辛いのではないか、そもそも育てる自信も無いよ、と考えれば考えるほど「子ども産まない」方に傾いていきました。
呪いが解けて、天井からキラキラした何かが降ってくるような感じがしました。
新しい自分を発見した気分でした。
この「子どもを持つかどうか問題」で頭がパンクしたことも、ストレスの大きな要因になっていたと思います。
今こうして振返ると、このあと体調を崩したし今も全快はしていないので、やはり子どもを持たなくて良かったと思います。
現代の若い人、これから子どもを持つかどうか考えている人たちからこの手の相談を受けると、ちょっと先を生きている私たち世代は必ず、「リミットと子どもを持たなかった場合の後悔の話」を釘を刺すようにアドバイス(クソバイス)してしまう人が多いように見受けられるんですが、「子どもを欲しいと思っていない」人は何歳になってもその気持ちは変わらない気がします。
今読んでいる、『母親になって後悔してる』(オルナ・ドーナト著 鹿田昌美/訳 新潮社)は「母親になるか迷ってる」人に是非読んでいただきたい本です。
イスラエルの社会学者による本ですが、日本では母親の本音をここまで書いている本はまだ見当たらないし、SNSでも見られない意見が満載でとても勉強になります。
次回へ続きます。
第八回 年齢を重ね酷くなっていく月経と、病院通い生活の始まり③ 結婚と虐待と
前回の続きです。
倒れて体調が悪化した原因はストレスですが、もちろん思い当たります。
と書きましたが、直接的なのは「結婚したこと」。
次は「実家から離れたこと」。
そして「十年くらいずっと休んでいなかった」。
「結婚」は、世間的にはおめでたいことであり、幸せの絶頂のようなイメージが普通だと思いますが、ストレス度では五十だそうです(ライフイベントに於いて、ストレス度百が配偶者との死別でトップ)。
私が生きてきた中で一番楽しかったのは、独り暮らしをしていた三年半でした。
独り暮らしが向いていると自覚していましたが、最後の方はスーパーにも行くのがしんどいくらいメンタルがヘラっていたので実家に戻らざるをえませんでした。
結婚することになり夫のマンションへ引っ越し、次の日には「私は結婚に向いていない・・・」と思ったのです。
いくつか理由がありますが、まずは夫の態度が変わったこと。
基本的にはちゃんとした人なのに、結婚した途端にキレやすくなったと感じました。
付き合っていたときには一切見せなかったのに。
精神的な甘えなのか、家族になった途端に本性を出したのか、夫的にも新生活でストレスが生じたのか分かりませんが、心に差し込むくらいガッカリしました。
そのキレ方が夫の父親に似ているのも嫌でした。
数ヶ月経つと、キレはだんだん少なくなり、今ではたまにしかありませんが、夫がキレると私もそれにキレ返していたのでストレスでした。
夫はテンパるとキレるようですが、そんな態度を会社ではしないでしょうし、やはり家族だからと甘えているように見えます。
夫の態度を見て、私は「別にもう、いつ離婚してもいいや」と思っていました。
この後も妊娠をきっかけに、とか子どもが生まれたことをきっかけに、など男性の態度の変化にガッカリすることは何度でもあり得ます。
結婚はギャンブルのようなものですね。
※以下、虐待の描写が含まれますので、読みたくない方は飛ばして下さい※
そして次は「実家から離れたこと」。
ブログのタイトルや第二回の内容でも少し触れましたが、私は両親から虐待を受けて育ちました。
父からは殴る、蹴る、人格を貶めるような暴言と、母からは性的な虐待です。
母による性的虐待ってどんな?と思われた方もいらっしゃると思いますが、十歳くらいから数年間、第二次成長期で変化していく私の身体を、母は後ろから急に胸を触って「少し胸が出てきてるー!」とか父もいる前で言ったり。
私が風呂に入っているとき地震が起きて(たいした震度ではなかった)、「大丈夫!?」と言ってドアをすごい力で開けようとして、私はドアを開けられないように必死で押さえてました。
少学6年生くらいの時だったと思います。一番自分の身体を見られたくない時期でした。
変化していく自分を受け入れるのも大変な時期に、他人に性的に興味を持たれ侵害された。
一番やってはいけない事を、母は私にしました。
その後、中一の夏休みに田舎の家に帰省したとき、私と妹と同い年の従姉妹と三人でお風呂に入っていました。
すると母が、「台所で水が足りないから」と訳の分からない理由で風呂に入ってきて、従姉妹にまで嫌な思いをさせました。
こういった出来事を積み重ねると、まず自分の「性」について嫌悪感を持つようになります。
他人の性的な言動に接すると、更に性に対して嫌悪感が増します。
成長するにつれ、学年が上がるにつれ、男女問わず性的な話題で同級生が盛り上がるのを横目に、私には無関係な話しだと思っていました。
というか無関係だと思いたくなってくるんですよね。
自分の性的な部分を受け入れるという作業は、大人になるための大事なステップなのですが、それも奪われました。
他人を好きになっても、性的な関係を結ぶと言うことに興味も湧かない。
人生で数年間は性的な関係を持ったこともありますが、今はゼロ。
嫌悪感の方が先に出てきてしまって、私は「性的な行動」とは全く無縁でいたい、性的な眼で見られたくないとしか思えません。
他にも父からの暴力もあり、二十代前半まで実家に住んでいたのですが、遠くの県の学校に入ると決めたことをきっかけに、独り暮らしをすることになりました。
独り暮らしはとても快適でした。びっくりするくらいに。
加害者がいない空間で、一人で生きられるってなんて快適で、心が安まるんだろうと。
しかし半年くらいすると、夜に突然涙が出て止まらなくなる様になってしまいました。
最近理由が分かったのですが、虐待サバイバーにはよくあることで、加害者と一緒にいるときは常に気が張り詰めているので感情が虚ろだったり、虐待に気づけなかったりするのが、一人になってみると置かれていた状況が過酷だったことに気づくんですよね。
加害者から離れた後に、辛かった感情が押し寄せて体調が悪くなる。
その後事情により実家で数年間過ごしました。そして結婚して再び同じサイクルに襲われた(加害者から離れられた)。
これが二つ目の理由だったと思っています。
次回へ続きます。