33歳で倒れてから、ずっと病院通いの私の生活 ~腎臓病と虐待と

33歳でめまいを発症し起き上がれなくなる。以後いくつもの病院を行脚し、現在はIgA腎症を治療中。

第十回 年齢を重ね酷くなっていく月経と、病院通い生活の始まり⑤ 休まない毎日と鎮痛剤依存

前回の続きです。

倒れて体調が悪化した原因はストレスで、二つ目まで書きました。

最後は「十年くらいずっと休んでいなかった」です。


二十四歳で専門学校に入学し、独り暮らしを満喫していましたが、勉強から友人との付き合いから農作業のアルバイトからサークル活動から、毎日充実して生きていました。

人生で一番楽しく元気でいられたのはその頃です。

卒業して同県で仕事を一年半ほどして、実家に帰ってからは自宅で装飾品を作って、ネットで販売するのを平日、土日は接客と眼を使う作業を伴うアルバイトをしていました。

この頃は何かしていないとかえって身体がだるくなる気がしたし、「休む」という概念を持っていなかったので毎日動いてました。

平日は家の中にいるけど、これもまた眼を酷使する作業で、近くばっかり見ているので遠くにピントが合いにくくなりました。

三十三歳で倒れて、やっと「休むこと」の大事さを知りました。

三十代は若いので、体力や気力を過信してフル活動しがちです。

いつか自分が倒れるなんて、想像もしていない。

身体にケアが必要なことも知らない。

そもそも「休む」という発想が無い・・・!

なので、どうか皆さん、適度に休む習慣を身に付けて下さい。


さて、目を酷使する仕事ばかり毎日やっていた私ですが・・・

最初は頭痛が毎日するようになり、肩こりが慢性化、頭痛薬を飲む回数が増える様になってきました。

実家に帰ってから月経痛も悪化していたので、最初は効き目が穏やかな頭痛薬だったのが、どんどん効き目の強いものじゃないと効かなくなって来ました。

イブプロフェン系の頭痛薬だったのですが、結局は鎮痛剤依存になっていました。

これがもしロキソニン系だったら、私の胃はとっくに穴が開いていたでしょう。

何年かの間、毎日頭痛薬が手放せない状態となり、どうやってやめたら良いのか自分でも分からない。

ネットで調べたら、まずは二週間断薬することだと書いてありましたが(あとは病院に通うか、それくらいしか情報が無い)、2021年頃は月経痛とそれに伴う頭痛と排卵痛とがすべて悪化して、一ヶ月に元気な日が一日しかない生活になり、痛みを抑える薬を飲まないと何も出来なくなっていました。

女性は肩周りの筋肉量が少ないのと運動不足、あとは頭痛が起きやすく月経も毎月来るので、鎮痛剤を飲む機会がかなり多くなるんじゃないかと思います。

でも私は、毎日鎮痛薬に依存していることを誰にも相談できなかったです。

鎮痛薬を買うお金も結構かかるし、どうにか止めたいとは思うのですが、どうしても飲んでしまう。

頭痛が怖いから。

私はIgA腎症という腎臓の難病を発症したのですが、三十代に鎮痛薬依存になったことで、腎機能もかなり落ちたと思います。

薬には実際、そういった注意書きがされていたのに、見て見ぬふりをした。

ちなみに毎日胃の調子も悪かったです。

いつも胃もたれしていて、夜は消化が悪いままなのでお腹が苦しくて寝付くのに二時間かかるのが普通でした。

そしてかなりの頻度で気持ちが悪い。

吐き気がしてしまうので、吐き気止めが必要でした。


そんな日々が突如として終わりました。

それは今年、子宮全摘手術をしたことがきっかけでした。

手術後に処方された鎮痛剤が、アセトアミノフェンだったのです。

鎮痛剤の知識があった私は、正直「アセトアミノフェンって穏やかな効き目の薬だから効くのかなあ?」と思いました。

飲んでみると、術後の痛みにも、頭痛にも、ちゃんと効いたのです。

以前、月経の激痛に全く効かなかったので私的には諦めていたのに・・・

改めて、月経痛ってどれだけ痛いのか・・・

処方されたアセトアミノフェンを飲み、二週間が過ぎ、少しの頭痛は我慢するように努め、イブプロフェンの鎮痛剤に頼らず生活できるようになりました。

そして一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月と経ち、今は時々頭痛があっても我慢できるか、月に多くて四回くらいのアセトアミノフェンの使用で済んでいます。

今ある頭痛は眼を使いすぎたときに起きる頭痛で、以前の鎮痛剤依存していたときのは「薬物乱用頭痛」でした。

依存から脱却した今は、胃の調子も良くなりました。

手放せなかった消化を良くする薬や吐き気止めも不要になりました。

以前は出かける前に必ず吐き気がするので、それは精神的なものから来ているのかと思っていました。

引きこもり気味で外が怖いので。

でも鎮痛剤依存が原因だったんですね。

そのきっかけになった月経痛しかり、原因を探して突き止めなければ変わることが出来ませんでした。

私の人生はその繰り返しのようなものです。


次回に続きます。