前回の続きです。
倒れて体調が悪化した原因はストレスですが、もちろん思い当たります。
と書きましたが、直接的なのは「結婚したこと」。
次は「実家から離れたこと」。
そして「十年くらいずっと休んでいなかった」。
「結婚」は、世間的にはおめでたいことであり、幸せの絶頂のようなイメージが普通だと思いますが、ストレス度では五十だそうです(ライフイベントに於いて、ストレス度百が配偶者との死別でトップ)。
私が生きてきた中で一番楽しかったのは、独り暮らしをしていた三年半でした。
独り暮らしが向いていると自覚していましたが、最後の方はスーパーにも行くのがしんどいくらいメンタルがヘラっていたので実家に戻らざるをえませんでした。
結婚することになり夫のマンションへ引っ越し、次の日には「私は結婚に向いていない・・・」と思ったのです。
いくつか理由がありますが、まずは夫の態度が変わったこと。
基本的にはちゃんとした人なのに、結婚した途端にキレやすくなったと感じました。
付き合っていたときには一切見せなかったのに。
精神的な甘えなのか、家族になった途端に本性を出したのか、夫的にも新生活でストレスが生じたのか分かりませんが、心に差し込むくらいガッカリしました。
そのキレ方が夫の父親に似ているのも嫌でした。
数ヶ月経つと、キレはだんだん少なくなり、今ではたまにしかありませんが、夫がキレると私もそれにキレ返していたのでストレスでした。
夫はテンパるとキレるようですが、そんな態度を会社ではしないでしょうし、やはり家族だからと甘えているように見えます。
夫の態度を見て、私は「別にもう、いつ離婚してもいいや」と思っていました。
この後も妊娠をきっかけに、とか子どもが生まれたことをきっかけに、など男性の態度の変化にガッカリすることは何度でもあり得ます。
結婚はギャンブルのようなものですね。
※以下、虐待の描写が含まれますので、読みたくない方は飛ばして下さい※
そして次は「実家から離れたこと」。
ブログのタイトルや第二回の内容でも少し触れましたが、私は両親から虐待を受けて育ちました。
父からは殴る、蹴る、人格を貶めるような暴言と、母からは性的な虐待です。
母による性的虐待ってどんな?と思われた方もいらっしゃると思いますが、十歳くらいから数年間、第二次成長期で変化していく私の身体を、母は後ろから急に胸を触って「少し胸が出てきてるー!」とか父もいる前で言ったり。
私が風呂に入っているとき地震が起きて(たいした震度ではなかった)、「大丈夫!?」と言ってドアをすごい力で開けようとして、私はドアを開けられないように必死で押さえてました。
少学6年生くらいの時だったと思います。一番自分の身体を見られたくない時期でした。
変化していく自分を受け入れるのも大変な時期に、他人に性的に興味を持たれ侵害された。
一番やってはいけない事を、母は私にしました。
その後、中一の夏休みに田舎の家に帰省したとき、私と妹と同い年の従姉妹と三人でお風呂に入っていました。
すると母が、「台所で水が足りないから」と訳の分からない理由で風呂に入ってきて、従姉妹にまで嫌な思いをさせました。
こういった出来事を積み重ねると、まず自分の「性」について嫌悪感を持つようになります。
他人の性的な言動に接すると、更に性に対して嫌悪感が増します。
成長するにつれ、学年が上がるにつれ、男女問わず性的な話題で同級生が盛り上がるのを横目に、私には無関係な話しだと思っていました。
というか無関係だと思いたくなってくるんですよね。
自分の性的な部分を受け入れるという作業は、大人になるための大事なステップなのですが、それも奪われました。
他人を好きになっても、性的な関係を結ぶと言うことに興味も湧かない。
人生で数年間は性的な関係を持ったこともありますが、今はゼロ。
嫌悪感の方が先に出てきてしまって、私は「性的な行動」とは全く無縁でいたい、性的な眼で見られたくないとしか思えません。
他にも父からの暴力もあり、二十代前半まで実家に住んでいたのですが、遠くの県の学校に入ると決めたことをきっかけに、独り暮らしをすることになりました。
独り暮らしはとても快適でした。びっくりするくらいに。
加害者がいない空間で、一人で生きられるってなんて快適で、心が安まるんだろうと。
しかし半年くらいすると、夜に突然涙が出て止まらなくなる様になってしまいました。
最近理由が分かったのですが、虐待サバイバーにはよくあることで、加害者と一緒にいるときは常に気が張り詰めているので感情が虚ろだったり、虐待に気づけなかったりするのが、一人になってみると置かれていた状況が過酷だったことに気づくんですよね。
加害者から離れた後に、辛かった感情が押し寄せて体調が悪くなる。
その後事情により実家で数年間過ごしました。そして結婚して再び同じサイクルに襲われた(加害者から離れられた)。
これが二つ目の理由だったと思っています。
次回へ続きます。