33歳で倒れてから、ずっと病院通いの私の生活 ~腎臓病と虐待と

33歳でめまいを発症し起き上がれなくなる。以後いくつもの病院を行脚し、現在はIgA腎症を治療中。

第十二回 わたしがブログを書く理由

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

わたしがブログを書く理由は、今年、IgA腎症という難病を告知されたことがきっかけでした。

このままだと腎機能はあと二年しか持たない、人工透析になるという事実を知ったら、書きたい衝動がブワーッと出てきました。

まだ四十一歳です。死を宣告された訳では無いんですが、宣告されたようなものだな、と思いました。

東京国立科学博物館に展示されていた、谷中で発見された江戸時代の女性のご遺体(ミイラ)のことを思い出したからです。

彼女は三十六歳で歯槽膿漏が原因で亡くなったと書いてありました。

そのときの衝撃と病気を告知された今の私の衝撃がリンクしたのです。

私は結婚してから八年間、精神的なものや身体の疲れ、重い月経、そして腎機能の低下から体調を崩し倒れ、三十三歳から通院生活をずっと送っている人間です。

今の時代だからこそ通院してなんとか生きていけているけれど、江戸時代だったら死んでてもおかしくないんだな、と思ったら急に死生観がハッキリクッキリと見えてきて、頭の中で言いたいことが浮かんで止まらなくなってきて今にも漏れそうなので、ブログに書いてみることにしました。

今年前半は腎生検から始まり三回の入院を経験しました。その他、重い月経の治療経験のことや倒れた原因など、ブログに書いて残したら同じ思いをしている方の役に少しは立てるかなと思いました。

今はIgA腎症の治療も終盤で、それが終わったらあとは腎機能がどのくらい持つかというところです。

体調は明らかに良くなりました。

最初は腎臓病のことを書こうと思っていたのですが、人生を振返って、倒れたときの原因の一つだった親に虐待された過去も全部書きたい、ていうか芋づる式にすべては関係しているので書かなきゃ。

この衝動は止められません。一度「死ぬかも?」と思ったら、世の中が変わって見えた。今まで見えなかったことを嫌でも見る機会が増えた。


私は個人の体験談が好きです。

特に、今まで取り上げられることの少なかった、女性の人生に関する個人の物語に興味があります。

ブログやSNSが使えるようになったおかげで、多くの人が個人の体験を発信できるようになりました。

その声が沢山集まることによって、大きな力になっていく。

世の中の価値観を変える、ムーブメントが起きていく。

誰かの体験談に助けられ、お互いの声が支えになる。

それを日々、感じています。

私もその片隅でブログを書くことで、誰かのためになったら良いな、と思っています。

第十一回 年齢を重ね酷くなっていく月経と、病院通い生活の始まり⑥ミレーナ使用開始

前回の続きです。

2019年ごろ、倒れて三年くらい経った頃、めまいや吐き気はだんだん収まってきてマシにはなってきていたものの、月経が最高潮に悪くなっていました。

月経時と月経前から、とにかくお腹が痛い。

激しい頭痛が半月ほど続く。

酷いPMS。

排卵痛も悪化して、一週間ずっと痛い状態でした。

排卵痛の時の方が、月経痛の時よりも寝込んでいました。

しかも排卵痛には鎮痛剤も効かない。

月経痛に対しては、お腹にカイロを貼るとラクにはなるタイプなのですが、それが出来るのは一年の内で十月から四月の間まで。

つまり寒い時期にしかカイロを貼れないし、貼っていても皮膚が熱さで痒くなったり、火傷しないようにハンカチでくるんだカイロをスパッツと腹巻きの間に挟むという状態がとてもうっとおしい。

婦人科でエコーをしてもらっても異常は何も無いのですが、それでもこの状態です。

その頃飲んでいた漢方薬だけではどうしようもなくなっていたので、ネットで調べていたら、ちょうど「ミレーナ」というものがあることを知りました。

ミレーナとは子宮内に装着する避妊具で、IUSとも呼ばれています。

これを子宮内に挿入することで、黄体ホルモンが放出され子宮内膜の増殖を抑える働きがあります。

そのため、避妊に効果があり月経が軽くなるという一石二鳥のものです。

早速ミレーナを奨めている病院を検索、受診しました。

婦人科の治療はかなり個人差と相性があるので、「やってみないと分からない」の精神で試してみます。

受診した病院では、経産婦で無くてもOKということで、受診したその日にミレーナ挿入となりました。

子宮口あたり?にちゃんと麻酔もしてくれました。

私の場合はですが、子宮に入れたときの感覚は「軽めの月経痛ぐらいだな」でした。

この痛みも人によって感じ方が様々なので、激痛で入れられない人もいるそうです。

あとは先生の手技がお上手だったのだと思います。

ほんの五分くらいで終わりました。

そのあとは数時間、月経痛のような痛みがジンジンしていました。


そのあと月経はどうなったかというと、毎月少しずつ経血量と痛みが少なくなり、以前よりは楽になりました。

でも、私は元々子宮の大きさが小さめらしく、月経以外の時にも子宮に痛みが少しあり、違和感(のような異物感のような)もありました。

PMSに対しては漢方薬も出してもらい併用していました。

ミレーナは一度挿入すると、五年間はそのままでいいという優れものです。

でも、解決できない問題がありました。

それは、酷い頭痛です。

そしてPMS。

子宮の痛みにはかなり効くと思いましたが、頭痛とPMSには効果無しかも、でした(個人差があります)。

ミレーナは二年間使っていたのですが、その間に上記の二つがかなり悪化して、一ヶ月に一日しか元気な日が無いという最悪な状態にまで陥りました。

いつも身体が重く、どよーんとしている感じ。

午前中は大体寝込んでいる。

夏は湿気に負けて、元気が全く出ない。

逆流性食道炎適応障害は大分落ち着いている(薬のおかげで)けど、月経関係がかなり酷い。

私のQOLが・・・最悪だ・・・こんな状態を我慢して生きているわけにはいかねえよ・・・!

ということで婦人科の先生に相談しに行きました。

そのとき年齢は三十九歳になっていました。

ホルモン量を調べてもらったら、標準よりかなり少ない数値が出ました。

なんでこんなに数値が低いのか原因は分かりません。

努力して増やせるものでも無い。

それだけでも、身体にこんなに影響が出るのかと思いました。

同世代や今まで接してきた女性たちの中で、こういう状態の人っていたのかな?

皆、元気に社会生活を送れているのかな?

多分、私のような状態の人は多くはないけど存在していて、主婦として家庭にいたり、外に出られなかったりして、世間にカウントされていないのではないか?と思います。

「女性の引きこもり」という特集をテレビで見ましたが、女性特有の身体の問題から来る理由で引きこもっているという人は出ていませんでした。

本当は結構存在していると思うけど。

無かったことにされたくないので、私は今ここに記しておきます。

女性の身体であることから来る特有の問題は、自分の意志でどうこうできるものではないから、余計に辛いです。

月経がいつ来るかなんてコントロールできないし、ホルモンバランスが整うかなんて体質次第だし、治療薬があっても全員が飲めてすべて解決!とはならないし、自分の身体なのに何一つ思い通りに出来ない。

理不尽な身体だなと思います。

生きづらい身体だと感じます。

そういう身体を持ちながら、社会生活との折り合いを付けていかなければならないんです、女性は。


第十三回へ続きます。(第十二回はちょっと寄り道です)

第十回 年齢を重ね酷くなっていく月経と、病院通い生活の始まり⑤ 休まない毎日と鎮痛剤依存

前回の続きです。

倒れて体調が悪化した原因はストレスで、二つ目まで書きました。

最後は「十年くらいずっと休んでいなかった」です。


二十四歳で専門学校に入学し、独り暮らしを満喫していましたが、勉強から友人との付き合いから農作業のアルバイトからサークル活動から、毎日充実して生きていました。

人生で一番楽しく元気でいられたのはその頃です。

卒業して同県で仕事を一年半ほどして、実家に帰ってからは自宅で装飾品を作って、ネットで販売するのを平日、土日は接客と眼を使う作業を伴うアルバイトをしていました。

この頃は何かしていないとかえって身体がだるくなる気がしたし、「休む」という概念を持っていなかったので毎日動いてました。

平日は家の中にいるけど、これもまた眼を酷使する作業で、近くばっかり見ているので遠くにピントが合いにくくなりました。

三十三歳で倒れて、やっと「休むこと」の大事さを知りました。

三十代は若いので、体力や気力を過信してフル活動しがちです。

いつか自分が倒れるなんて、想像もしていない。

身体にケアが必要なことも知らない。

そもそも「休む」という発想が無い・・・!

なので、どうか皆さん、適度に休む習慣を身に付けて下さい。


さて、目を酷使する仕事ばかり毎日やっていた私ですが・・・

最初は頭痛が毎日するようになり、肩こりが慢性化、頭痛薬を飲む回数が増える様になってきました。

実家に帰ってから月経痛も悪化していたので、最初は効き目が穏やかな頭痛薬だったのが、どんどん効き目の強いものじゃないと効かなくなって来ました。

イブプロフェン系の頭痛薬だったのですが、結局は鎮痛剤依存になっていました。

これがもしロキソニン系だったら、私の胃はとっくに穴が開いていたでしょう。

何年かの間、毎日頭痛薬が手放せない状態となり、どうやってやめたら良いのか自分でも分からない。

ネットで調べたら、まずは二週間断薬することだと書いてありましたが(あとは病院に通うか、それくらいしか情報が無い)、2021年頃は月経痛とそれに伴う頭痛と排卵痛とがすべて悪化して、一ヶ月に元気な日が一日しかない生活になり、痛みを抑える薬を飲まないと何も出来なくなっていました。

女性は肩周りの筋肉量が少ないのと運動不足、あとは頭痛が起きやすく月経も毎月来るので、鎮痛剤を飲む機会がかなり多くなるんじゃないかと思います。

でも私は、毎日鎮痛薬に依存していることを誰にも相談できなかったです。

鎮痛薬を買うお金も結構かかるし、どうにか止めたいとは思うのですが、どうしても飲んでしまう。

頭痛が怖いから。

私はIgA腎症という腎臓の難病を発症したのですが、三十代に鎮痛薬依存になったことで、腎機能もかなり落ちたと思います。

薬には実際、そういった注意書きがされていたのに、見て見ぬふりをした。

ちなみに毎日胃の調子も悪かったです。

いつも胃もたれしていて、夜は消化が悪いままなのでお腹が苦しくて寝付くのに二時間かかるのが普通でした。

そしてかなりの頻度で気持ちが悪い。

吐き気がしてしまうので、吐き気止めが必要でした。


そんな日々が突如として終わりました。

それは今年、子宮全摘手術をしたことがきっかけでした。

手術後に処方された鎮痛剤が、アセトアミノフェンだったのです。

鎮痛剤の知識があった私は、正直「アセトアミノフェンって穏やかな効き目の薬だから効くのかなあ?」と思いました。

飲んでみると、術後の痛みにも、頭痛にも、ちゃんと効いたのです。

以前、月経の激痛に全く効かなかったので私的には諦めていたのに・・・

改めて、月経痛ってどれだけ痛いのか・・・

処方されたアセトアミノフェンを飲み、二週間が過ぎ、少しの頭痛は我慢するように努め、イブプロフェンの鎮痛剤に頼らず生活できるようになりました。

そして一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月と経ち、今は時々頭痛があっても我慢できるか、月に多くて四回くらいのアセトアミノフェンの使用で済んでいます。

今ある頭痛は眼を使いすぎたときに起きる頭痛で、以前の鎮痛剤依存していたときのは「薬物乱用頭痛」でした。

依存から脱却した今は、胃の調子も良くなりました。

手放せなかった消化を良くする薬や吐き気止めも不要になりました。

以前は出かける前に必ず吐き気がするので、それは精神的なものから来ているのかと思っていました。

引きこもり気味で外が怖いので。

でも鎮痛剤依存が原因だったんですね。

そのきっかけになった月経痛しかり、原因を探して突き止めなければ変わることが出来ませんでした。

私の人生はその繰り返しのようなものです。


次回に続きます。

 

第九回 年齢を重ね酷くなっていく月経と、病院通い生活の始まり④ 子どもを産むかどうか

前回の続きです。

結婚したときに、世間ではちょうど、「女性の卵子の老化は三十三歳から始まる」といった言説があちこちで報道されていました。

同時に「孤独死」のニュースもよく見ました。

どちらも人を不安にさせる要素満載の内容ですが、今考えると何か意図的なものを感じますね。

不安を煽っておいて、それでも結局出生率は上がらなかったので、今になって見当違いな子育て支援対策ばっかり打ってますね。


今思うと不思議ですが、結婚する前、私も不安になっていた一人でした。

「子どもを絶対に産みたい!」と思っていたわけでは無いのに、リミットが近いと言われると何か焦る。

その焦った気持ちを持ちつつ結婚しました。ちょうど三十三歳です。

いざ結婚したら、家計の状態が子どもを持つには厳しいし(夫は大丈夫だと言うが私は無理だと思った)、私は結婚するときにパート仕事を一度辞めていました。

引っ越し先から通うには物理的に無理があったので。

そうすると、今から新たに仕事を探し妊活をすることになるけれど、仕事が決まったばかりで「妊娠しました」とか、言えるわけなくね・・・?

焦って考えていたら、頭がパンクしそうになりました。多分パンクしてました。

ですが一度パンクして冷静に考えた結果、私は人生で一度も本気で「子どもを産みたい」と思ったことが無いと気づいたのです。

三十歳を過ぎると結婚に対してすごく焦りが出てきて、周りからもうるさく言われて、世間体の方に合わせなきゃと、ずっと思っていたのです。

結婚→子ども(世間体)の呪いにまんまとかけられていたのです。

私は虐待されて自尊心低いし、自分の見た目も好きじゃ無いので自分に似た子どもが生まれたら辛いのではないか、そもそも育てる自信も無いよ、と考えれば考えるほど「子ども産まない」方に傾いていきました。

呪いが解けて、天井からキラキラした何かが降ってくるような感じがしました。

新しい自分を発見した気分でした。


この「子どもを持つかどうか問題」で頭がパンクしたことも、ストレスの大きな要因になっていたと思います。

今こうして振返ると、このあと体調を崩したし今も全快はしていないので、やはり子どもを持たなくて良かったと思います。

現代の若い人、これから子どもを持つかどうか考えている人たちからこの手の相談を受けると、ちょっと先を生きている私たち世代は必ず、「リミットと子どもを持たなかった場合の後悔の話」を釘を刺すようにアドバイス(クソバイス)してしまう人が多いように見受けられるんですが、「子どもを欲しいと思っていない」人は何歳になってもその気持ちは変わらない気がします。

今読んでいる、『母親になって後悔してる』(オルナ・ドーナト著 鹿田昌美/訳 新潮社)は「母親になるか迷ってる」人に是非読んでいただきたい本です。

イスラエル社会学者による本ですが、日本では母親の本音をここまで書いている本はまだ見当たらないし、SNSでも見られない意見が満載でとても勉強になります。


次回へ続きます。

第八回 年齢を重ね酷くなっていく月経と、病院通い生活の始まり③ 結婚と虐待と

前回の続きです。

倒れて体調が悪化した原因はストレスですが、もちろん思い当たります。

と書きましたが、直接的なのは「結婚したこと」。

次は「実家から離れたこと」。

そして「十年くらいずっと休んでいなかった」。

 

「結婚」は、世間的にはおめでたいことであり、幸せの絶頂のようなイメージが普通だと思いますが、ストレス度では五十だそうです(ライフイベントに於いて、ストレス度百が配偶者との死別でトップ)。

私が生きてきた中で一番楽しかったのは、独り暮らしをしていた三年半でした。

独り暮らしが向いていると自覚していましたが、最後の方はスーパーにも行くのがしんどいくらいメンタルがヘラっていたので実家に戻らざるをえませんでした。

結婚することになり夫のマンションへ引っ越し、次の日には「私は結婚に向いていない・・・」と思ったのです。

いくつか理由がありますが、まずは夫の態度が変わったこと。

基本的にはちゃんとした人なのに、結婚した途端にキレやすくなったと感じました。

付き合っていたときには一切見せなかったのに。

精神的な甘えなのか、家族になった途端に本性を出したのか、夫的にも新生活でストレスが生じたのか分かりませんが、心に差し込むくらいガッカリしました。

そのキレ方が夫の父親に似ているのも嫌でした。

数ヶ月経つと、キレはだんだん少なくなり、今ではたまにしかありませんが、夫がキレると私もそれにキレ返していたのでストレスでした。

夫はテンパるとキレるようですが、そんな態度を会社ではしないでしょうし、やはり家族だからと甘えているように見えます。

夫の態度を見て、私は「別にもう、いつ離婚してもいいや」と思っていました。

この後も妊娠をきっかけに、とか子どもが生まれたことをきっかけに、など男性の態度の変化にガッカリすることは何度でもあり得ます。

結婚はギャンブルのようなものですね。

 

※以下、虐待の描写が含まれますので、読みたくない方は飛ばして下さい※


そして次は「実家から離れたこと」。

ブログのタイトルや第二回の内容でも少し触れましたが、私は両親から虐待を受けて育ちました。

父からは殴る、蹴る、人格を貶めるような暴言と、母からは性的な虐待です。

母による性的虐待ってどんな?と思われた方もいらっしゃると思いますが、十歳くらいから数年間、第二次成長期で変化していく私の身体を、母は後ろから急に胸を触って「少し胸が出てきてるー!」とか父もいる前で言ったり。

私が風呂に入っているとき地震が起きて(たいした震度ではなかった)、「大丈夫!?」と言ってドアをすごい力で開けようとして、私はドアを開けられないように必死で押さえてました。

少学6年生くらいの時だったと思います。一番自分の身体を見られたくない時期でした。

変化していく自分を受け入れるのも大変な時期に、他人に性的に興味を持たれ侵害された。

一番やってはいけない事を、母は私にしました。

その後、中一の夏休みに田舎の家に帰省したとき、私と妹と同い年の従姉妹と三人でお風呂に入っていました。

すると母が、「台所で水が足りないから」と訳の分からない理由で風呂に入ってきて、従姉妹にまで嫌な思いをさせました。

こういった出来事を積み重ねると、まず自分の「性」について嫌悪感を持つようになります。

他人の性的な言動に接すると、更に性に対して嫌悪感が増します。

成長するにつれ、学年が上がるにつれ、男女問わず性的な話題で同級生が盛り上がるのを横目に、私には無関係な話しだと思っていました。

というか無関係だと思いたくなってくるんですよね。

自分の性的な部分を受け入れるという作業は、大人になるための大事なステップなのですが、それも奪われました。

他人を好きになっても、性的な関係を結ぶと言うことに興味も湧かない。

人生で数年間は性的な関係を持ったこともありますが、今はゼロ。

嫌悪感の方が先に出てきてしまって、私は「性的な行動」とは全く無縁でいたい、性的な眼で見られたくないとしか思えません。


他にも父からの暴力もあり、二十代前半まで実家に住んでいたのですが、遠くの県の学校に入ると決めたことをきっかけに、独り暮らしをすることになりました。

独り暮らしはとても快適でした。びっくりするくらいに。

加害者がいない空間で、一人で生きられるってなんて快適で、心が安まるんだろうと。

しかし半年くらいすると、夜に突然涙が出て止まらなくなる様になってしまいました。

最近理由が分かったのですが、虐待サバイバーにはよくあることで、加害者と一緒にいるときは常に気が張り詰めているので感情が虚ろだったり、虐待に気づけなかったりするのが、一人になってみると置かれていた状況が過酷だったことに気づくんですよね。

加害者から離れた後に、辛かった感情が押し寄せて体調が悪くなる。

その後事情により実家で数年間過ごしました。そして結婚して再び同じサイクルに襲われた(加害者から離れられた)。

これが二つ目の理由だったと思っています。


次回へ続きます。

 

 

第七回 年齢を重ね酷くなっていく月経と、病院通い生活の始まり②~精神科と胃カメラ

前回の続きです。

 

めまいに焦点を当てて病院に行ってみたけれど、特に改善されませんでした。

そしてだんだんと、他の症状も出始めました。

夜寝るとき、横になると呼吸が苦しくなる。落ち込み。寝付きがすごく悪い。

二年前くらいからあった、時々やってくる吐き気。

夜に呼吸が苦しいという症状をネットで検索すると「精神的な症状の可能性がある」と分かり、早速、精神科のクリニックを予約しました。

精神科に行った方が良いという勘のようなものもありました。

毎日だるくて、すぐに横になれるように布団も敷きっぱなしで、一日を終えるのがやっとだったのに、良くなる可能性があるならと思うと、すぐに行動には移せました。

他に誰もやってくれないですからね。こういうときに馬力が急に出ます。

精神科の予約が取れ、めまいの薬と抗不安薬を処方してもらいました。

(私の場合は)すぐに薬が効き、夜に呼吸が苦しくなる症状は治まりました。

寝付きは良くは無いですが、以前よりはマシになったと思います。


まだめまいは少しありながらも、電車で数駅先の精神科に通えるようになりました。

ですが診察を待っているとき、目を瞑ると脳がフラフラする感じがして、まだ全然先が長そうだなと思いました。

実際にめまいが落ち着いたのはそれから三年くらい先のことです。

毎日ずっとめまいがあったわけでは無いですが、出かけて帰ってきたあとめまいがしたり、いつめまいが出るか分からないので、予定が立てられないし人との約束ができない。

買い物もままならない。

基本的に家に引きこもって、夫に図書館で予約した本を取りに行ってもらい、それをずっと読んでいる日々でした。

本が読めると言うことは、鬱の可能性は低いそうです。

女性は思春期から老齢まで、一生をかけて様々なめまい症状に悩まされる、という記事を見て軽く絶望しています。

なんて生きづらい身体なんだ。


精神科を受診してから三ヶ月。今度は胃の調子が更に悪くなってきました。

胃が重い、動いている気がしない、胸焼けがする、気持ちが悪い。

テレビの番組で食べ物特集を見ていたら吐き気がしてくるくらいで、もうこれは消化器内科に行って見てもらうしか無い、ということで今度は胃カメラの検査をしてもらうことになりました。

結果は逆流性食道炎でした。

原因はストレスですが、もちろん思い当たります。

胃酸を押さえる一番強い薬がやっと効きました。吐き気を押さえるために漢方も飲んで、どんどん薬が増えていきました。

次回に続きます。

ちなみに、お盆休みはどこにも出かけません(毎年恒例)。

 

第六回 年齢を重ね酷くなっていく月経と、病院通い生活の始まり①

私は現在四十一歳、月経が重くなり始めたのは二十八歳ごろです。

二十八歳から明らかに変わった月経の原因には、ホルモンバランスが関係していると思います。

PMSが酷くなり始め、頭の中がジェットコースターに乗っているときのように振り回される感覚があり、落ち込みが酷く月経前は死にたさでいっぱい。

高い場所にいると飛び降りたくなってしまうので、避ける。

これを繰り返す内に、月経が来る事が毎月の恐怖とストレスへ・・・。

このままではまずい、と思い婦人科を受診しました。

低用量ピルを試してみたのですが、飲んでから二日目の朝、吐き気と嘔吐。

これを慣れるまで飲むのは出来ないなあと思い、漢方を処方してもらったらよく効きました。

一、二年の間はそれで過ごしていましたが、落ち込みは良くなりましたが生理痛の方は良くならずどんどん酷くなっていくのが毎月分かりました。

それでも子宮内膜症などもなく、エコー検査では何も見つからない。

 

低容量ピルが体質的に飲めないのは本当に辛い事実ですが、今は十年前よりも沢山の種類の薬が発売されているし、最初の低用量ピルが飲めなかったという方も、諦めずに試してみて下さい。

主治医の先生と相談して自分に合う薬を探していくことになりますが、婦人科の治療は最終的にそれに尽きるというか、根気強さが必要になってきます。

自分の身体のことを大切にして頑張っていくのは自分しかいない、他の誰でも無い、と長年の治療を通して思います。


そして三十三歳で結婚しました。

漢方を飲みつつ、生理痛は鎮痛剤で抑えられていた感じでした。

ですが、結婚してから二ヶ月経ったとき、吐き気とめまいで倒れ、三日寝込んだら良くなるのを月に一度、三回繰り返したあと、そのあとはめまいがフワフワとずっとある状態になりました。

起きて座っているのも一時間が限界になってきて、仕事が出来なくなりました。

 

それからが私の病院通い生活の始まりです。

最初はめまいに焦点を当てて、耳鼻咽喉科に行ってみました。

良性発作性頭位めまい症(耳石が三半規管に入ってしまうことで起きるめまい)ではないことが分かりました。

そこで先生に、寒いときに出かけると(ちょうど二月でした)特にめまいが起こるのですが、と聞いてみました。

そうしたら、「じゃあ寒いときに出かけなきゃいいんじゃないですか」と言われました。

すごくムカつきました。もっと他に言うことあるでしょう?

耳鼻科で問題が無いんだとしたら、他の診療科を提案するとか。

先生の放言に、周りにやけに沢山いる事務職員たちも失笑(かなり広い診察室の中に、看護師や事務職員が集団でいるという変な病院でした)。

先生が何か言ったらそれに乗っかってワルノリで笑っちゃうのが習慣になってしまっているんだろうな、という印象。

患者のプライバシー保護とか全く考えられていないし。

明らかに馬鹿にされている笑い方。

何コレ?何この耳鼻科?道理で待合室に患者が全然いないはずだよ。

二度とここには行きませんでした。

 

次に、内科に行ってみました。

ここではMRIを撮るように紹介状をもらい、同じ日にその足で脳神経外科へ行きました。

結果は異常なしで、帰ったは良いのですが疲れてしまい、その日の夜、めまいでダウン。

漢方薬をもらったけれど効かず。漢方に詳しいという評判で行ったんですが。

なにより家から遠かったので通う気力と体力が続きませんでした。

あとこの内科はすごく混んでいて、待ち時間が長かったです。

 

病院はなるべく、家から近くにある方が良い。

そして電車などで通う場合も、駅近の病院が良いです。

症状が出ている間は、病院に通うのも辛いので。

病院に着くまでに倒れたらどうしよう、と不安になってしまいます。

真夏は熱中症を心配しないといけないし、駅から遠い病院はやっぱり通えなくなります。

次回へ続きます。